【商品説明】
【宗廣力三】
1914年 岐阜県郡上郡八幡町(現・郡上市)に生まれる。
宗廣氏は特別な産業がなかった内陸部の土地で、郡上郡青年団理事として地元の若者を義勇軍として育て、大陸満洲へと世の中の気運が高まっていた折には満洲開拓へ若者を送り出す事にも尽力されたそうです。
類まれな積極性と指導力をお持ちだったのであろうと想像します。
戦争が終わって1946年頃から引き上げが始まり、戻ってきた人々が住む家も就く仕事もないという厳しい状況を目にして開拓農地を開き、皆を受け入れ、多くの人が関われて現金収入につながりやすい機織りを勧められ、ご自身もその研究に奔走されました。
それまでにも郡上地方では養蚕も機織りも行われていましたが、地元の 人々のために織られるような地織的なものであったようです。
それを改良され、京都の染織試験場長の指導を受け、より良いものへと変えていかれました。
1952年、地元の蚕からとれる真綿の糸を地元の草木で染め手織りで織る伝統的な紬の創作が「郡上工芸研究所」として本格的に始まりました。
京都の陶芸家・河合寛次郎氏を訪ねて作品を見せて指導を仰ぎ、京都の老舗呉服屋さんと取引を始められたり、白洲正子さんの「こうげい」でも作品を扱われたりと、多方面へ活躍の場を広げられました。
その後も展覧会を開催しながら、日本伝統工芸展にも出品されご活躍されましたが、1980年に体調の面から工房を神奈川県に移され、また新たな世界を開いていかれたようです。
伝統的でありながら古くなく、それでいて伝統に基づいて創作されたものが持つ力強さと輝き、色のときめきがあり、一目見てそれとわかる個性のあるのが「郡上紬」です。
本来の目的は周りの人の生活を支えるためであったものを、長きに渡る研究と創作によってその世界を確立された宗廣力三氏はとても素晴らしい人であったでしょうと想像されます。
1982年 重要無形文化財「紬縞織・絣織」の保持者に認定。
1989年11月21日没。
随分以前にご縁があって度々郡上を訪れていたのですが、20年くらい前に訪れた際に地元の方にお話を伺う機会があり、終戦後は地元の男性も女性も養蚕と郡上紬に関わられた方が多かったとお聞きしました。
何度目かの訪問の時に、郡上八幡町の町民館に宗廣さんの作品が展示されていた事がありました。
こちらの帯の図案に近い藍色の丸紋の吉野格子の図案で、それまでに目にした事がない可愛い織りの模様と藍色の濃淡の美しさに心を奪われて、長い時間見ていた記憶があります。
「いつか出会えたらいいなぁ」と淡い期待を抱いていましたので、今回はとても嬉しく思いました。
その後の10年くらいの間に郡上の街もすっかり変化して、桑畑は住宅になり、コンビニも増えて、高速もつながって便利になったようですが、どこかさみしさも感じました。
そんな郡上の街の思い出がよみがえる、懐かしく温かく力強い素晴らしい作品です。
未着用品。
地の色は練色(ねりいろ)「#EDD8B6 color-sample.com」、
丸紋の色は老竹色(おいたけいろ)「#617C5D color-sample.com」、
紅樺色(べにかばいろ)「#A0514B color-sample.com」をご参照下さい。
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