印金紅型流水桜紅葉文着物
人間国宝 鎌倉芳太郎作

商品番号 r1877 - 108161
未着用品
販売価格 1,350,000円+税

身丈 165 cm 前巾 24.5 cm
裄丈 66.8 cm 後巾 30.4 cm
袖丈 53 cm

商品説明
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【商品説明】
鎌倉芳太郎さんは、大正末期から昭和初期に沖縄現地で琉球・沖縄芸術関係資料を熱心に忠実に写し取り、蒐集されました。
1986年の沖縄県立芸術大学の開学を記念して寄贈されて以来、2007年までを中心に、そのほとんど全てが鎌倉さんのご遺族から沖縄県民のもとへ贈られたものです。
このうち、沖縄県立芸術大学に寄贈された資料はいわゆる「鎌倉資料」の名で沖縄県立芸術大学附属図書・芸術資料館に所蔵されています。
写真資料といわれるガラス乾板や紙焼き写真は2000点以上にも及び、その時代最先端といわれる写真技術によってなされていましたが、普通の人では3年はかかるであろうといわれた写真技術の取得を3日間でされたという事にも大変驚かされます。
また「鎌倉ノート」と呼ばれる調査ノートのスケッチも、竹内栖鳳の弟子である穴吹香村氏に学ばれていたため、非常に高いレベルだといわれています。
その鎌倉ノートを筆頭に、写真資料(紙焼き写真)、文書資料、紅型資料(型紙・他)、陶磁器資料と、総数約7500点にも上る膨大かつ貴重な内容ばかりで、のちにその資料も国の重要文化財に指定されました。
昨年、残念な事に焼失してしまった首里城再建も、この鎌倉さんの資料なくしては実現しなかったということは有名なお話です。
ご本人が染織家として重要無形文化財「型絵染」保持者となり、集めて研究をされた資料が重要文化財となるという事は非常に珍しい功績といえるのではないでしょうか。
しかしながら染織家としては、自らは沖縄紅型の後継者にはなりえない常に「旅人」であるとされていました。
長年に渡りこれほどまでに調査された琉球文化を、常に客観的な視線で見聞きし、研究された姿勢は、染織においても琉球的なものと日本的なものの対比と調和という形となって鎌倉紅型のひとつの個性として現れているようです。
こちらの作品を拝見しても、流水に散る桜の花と紅葉といった図案は古琉球紅型の模様としても見られるものですが、観世水のような躍動感のある水の流れと、龍田川の風景のような万葉的なものを取り入れられている点に、そういった特徴が見られるのではないでしょうか。
そして部分的に施された印金の華やかさが際立つ個性となって華やかさを添えています。
「素晴らしい」という言葉が自然に口からあふれてくるような見応えのある逸品です。
未着用品。

地の色は水浅葱「#80aba9 color-sample.com」
流水の色は御召茶「#304a4d color-sample.com」
花の色は紅藤色「#cca6bf color-sample.com」
梅紫「#662e56 color-sample.com」
紅葉の色は鶸萌黄「#608033 color-sample.com」
芥子色(からしいろ)「#d0af4c color-sample.com」
「#d7003a color-sample.com」 をご参照下さい。

1898年   香川県に生まれる
1918年   東京美術学校(現・東京藝術大学)図画師範科に入学
1921年   卒業後、文部省の出向で沖縄県で教諭となり、琉球芸術の研究に着手
1923年   東京美術学校研究室に入り、東京大学・教授伊藤忠太氏の指導を受ける
1924年   首里城正殿取毀式を差し止める。尚侯爵家や首里の名家の所蔵品を調査・撮影
1926年   沖縄本島をはじめ宮古島・奄美大島・八重山諸島を調査
1927年   琉球王府紺屋大宗家・沢岻家から型紙や染手本などを入手
1928年   中央学会に琉球の染織を紹介する
1942年   東京美術学校助教授になる
1957年   琉球政府行政主席の希望で、紅型技法の保存と伝統産業の育成に協力するため型紙600点を沖縄に返還
1958年   第5回日本工芸展に「琉球紅型中山風景文長着」を出品し入選、以後毎回入選
1959年   「古琉球型紙」全5冊を刊行
1961年   日本工芸会正会員となる
1962年   日本工芸会正会員の理事となる
1964年   第11回日本伝統工芸展に「印金朧型着物〈そう(※漢字は王へんに倉)〉」を出品、日本工芸会会長賞受賞
1971年   戦後初めて沖縄を訪れる
1972年   琉球政府立博物館で写真展「50年前の沖縄〜写真で見る失われた文化財」開催
        叙勲
1973年   重要無形文化財「型絵染」保持者に認定される
1982年   「沖縄文化の遺宝」刊行
1983年   死去
2005年   資料が国の重要文化財に指定される